文芸ポップス

文芸ポップス

文芸作品を楽しむブログです。

【雑記】最近は山本直樹にはまっているし気が付いたら26歳だったーブログの運用を再開しました~読んでくれていた皆さんありがとう~

最近は山本直樹にはまっているし気が付いたら26歳だったーブログの運用を再開しました~読んでくれていた皆さんありがとう~

 

「電車に乗れないくらいで落ち込むことないですよ。しょうがないですよ。5年ぶりでしたっけ? 僕も電車は苦手だなあ。他人がいっぱいいて、なんかガーってやたらうるさくて。

とりあえず外に出れただけですごい進歩ですよ、ねぇ、いい天気だし。

電車に乗らなくてすむ仕事だって、いっぱいあるんだし。」

「あんたの仕事 ちょっと興味あるわ。私 経験者だから 訳に立つかも」

「あ 実は僕も経験者なんですよ」

「………………また そんなでまかせ言って私のシンパシー得ようとして。」

「あ わかりました? 事務所から独立して初仕事だったのになー…………」

「面白いことなにもないの?」

「ジャンケンでもしますか?」

「勝ったほうがここから飛び降りるってのはどう?」

山本直樹『明日また電話するよ』「テレビばかり見てると馬鹿になる」

(株式会社イーストプレス 2008.7)

 

 

はじめに

 

このブログを更新するのは何時ぶりだろうか。最後の更新が2018年の11月なので、もう1年以上も触れていないことになる。当時は24歳、そして今は26歳である。新しいことを始めるのには遅いのではないかと思ってしまう今日この頃。この1年半、色々あったが、また改めてブログの運用を始めることにした。少し間が空いたので、軽く近況について報告していきたい。

 

最近のこと

と言っても、このブログで長く読まれているのは『モデラート・カンタービレ』の書評記事であり、私の雑記記事に対する閲覧数は塵ほどのものである。なので、この記事というのは自分の踏ん切りとでも言えるものであって、誰の為の記事でもない。がまぁ、一応書かせてもらうとこのブログを立ち上げた当初はwebでライター業を営んでおり、クラウドワークスやランサーズを主な職安所として活用し、美容健康医療に関する記事を書く仕事をしていた。その他にも、漫画の考察やネタバレ記事などを書いていたが、こちらはあまりお金にならなかった(恰好が良いので、友人たちにはサブカル系の記事を書いて銭を稼いでいると話していた過去が辛い)。他にも、ハッテン場の取材などをしたが、あまり思い出したくない。仕事用のブログをXサーバーで作っていたが全部捨てた。

で、今はと言うと、IT系の企業で営業の仕事をしており、それ以下でも以上でもない。年収は以前より増えたが、平均の域を出ない。最近はよくサボっており、いつやめるのか定かではない。そうなったらどうしようもない。「どこへも行き場がない」(罪と罰日がまた訪れるかもしれず、今度こそアパートの踊り場で息絶えるかもしれない。

それもちょっと御免被りたいので、しばらくは会社員として働くでしょう。

 

 これからのこと

僕はこのまま『ノー』と云うこともなく、今までの言動が『青春』という単語に変化するのを、この町で静かに待つのだろう。「かわいそうに、こんなに屈服して」ミチオが自分の父親と同じような言葉を僕にぶつけた。だけど今の僕には、そうした屈辱すら通じない。何も感じない。ミナミ君もいない。祖父もいない。虚無もやってこない。何もない。これからの僕は、その何もないという部分に幸福を感じながら生きるのだ。

佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』(講談社2007.5)

  

単行本

文庫本

別に大きな挫折や苦難を味わったわけでもないのに、佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』のことを思い出した。人生に対しての一区切り、ひと段落を得た時には、決まって思い出すのだ。特別に好きな本ではないが、高校の頃に読んで以来、鹿児島で生きていくことを考える上では欠かせない本となっている。鹿児島で何が成せて何が成せないのか? 鹿児島で暮らす多くの人にとってはくだらない、どうでもいいことだろう。「お前は何を言っているのだ?」と後ろ指を差されるに違いない。それでもこの町では、挑戦出来ることと出来ないことがある。鹿児島で挑戦出来ないことを挑戦したい人はどんどんと外に出ていく。

私の後輩も、最近映像会社に就職が決まり、東京へと旅立つらしい(おめでとうTくん)。一方の私は、別に都市に出てやりたいことなどない。正確に言うと、私のやりたいこと(文筆業)は別に地方でも出来るので、「出来る」ということを言い訳のように利用して外へ出ないだけなのだ。出る理由がない。

心の奥底では出版社で働きて~ライターして~メディア作りて~などと考えたりもするのだが、じゃあ、それは東京に出てまですることなのか、という問いを自分自身に突き付けてしまう。色々と矛盾した感情を抱かざるを得ないと思う自分がダサいと思うし、何よりダサいと思う自分がダサくて虚しいという甘えを抱いている。

端的に言うと、現状に甘えぬるま湯に浸っている。全く興味のない業界で働きそこそこの給与をもらい、休日に本を読み小説を書いている。何が悪いのか? 人は言うだろう。そう、何も悪くない。だから別に誰にこんな愚痴を言う訳でもなく、せかせかと誰が読むとも知らないブログ記事に書き連ねている訳だが。

「努力せよ」と人は言う。どの方向に努力するのが正しいのか、未だに分からない。南日本新聞への就職を目指すことが正なのかも(だった)しれないし、公務員を目指すのが正なのかも(だった)しれない。目指すべき地点が分からない、そんな人も多いのではないだろうか。けれど「私たち」は傷のなめ合いを最も忌み嫌う。

だから私たちは、人知れず目の前の課題を淡々とこなしていくしかないのだ。私はと言えば、「何もないという部分に幸福を感じながら生きる」ようになるまで、自分なりに取捨選択を繰り返しながら、目の前の課題を淡々とこなしていくだけなのである。

昔、ある人に言われた「人間っていうのはどんだけぶれぶれでも軸を一個持ってると人生うまくいくよ」という言葉を大切に、会社員を続けながら小説やら文学やらを続けていきたい。

……とは言いつつ、異常なくらい金が欲しい時期があった。これからも時折そういう時期が来るのだろう。そろそろベンツに乗ろうと奮起したつもりになっていたが、別になにもしていない。最近は私の愛車であるハスラーが大破したので、生涯ハスラー乗りでもいいかなと思っている。これを機に新しい車を買おうと思ったがそんな金はない。しばらく続けていた商売を今月で辞めることにしたので、収入も若干減るし、もう魂をすり減らすことに時間を使うのはやめようと思うのだ(そもそもペイしていたかの問題もあるが)。まだしも、サービス残業の方が健康的である。私は有体に行ってバカなので、何事も経験してみないと分からない。物書きを生業としようとしている者にとっては著しい欠損であるが、致し方あるまい。まぁ、新しいことにチャレンジしたことを自分なりに評価した結果損をしたとしても、ウシジマくん風に言えばこうだ。

 

マサルから聞いたぜ。お前は自分の全人生を賭けて勝負したんだろ?

すげーじゃねぇか。なんもしてねぇー奴よりよっぽどマシだ。

真鍋昌平闇金ウシジマくん(32)』(小学館2014.10)

まあ私が件の「フリーエージェントくん」のように人生を賭けていたかと言われるとまた別だが、それなりの判断を迫られたりもしたので、まぁ、とりあえず自分への慰めとしてこの言葉を貰っておきたい。失敗の要因はというと、「フリーエージェントくん」 同じく中身がなかったという一点に尽きるだろう。だからまぁ、人生一発逆転という方向に私は向いていなかったのだと思って「フリーエージェントくん」同様に長い時間をかけて左部メソッドを会得していくしかない。挑戦のきっかけは、教養の不足から来る諦めのようなものだと思う。

それはそうと、書評家の豊﨑由美が佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』の書評の中で、内輪言語を多用する著者を次のように語っている。

閉じないでは生きていけない。不条理なまでに暴力的な世界に耐えられない柔らかな心を抱えて苦しんでいる、自分と同類の若い世代や子供たちへの共感であり励まし、そのサインが内輪言語だったのかもしれない、と。それが読みとれなかったのは、わたしが世間智にたけた大人だったからなんでありましょう。

豊﨑由美『ガタスタ屋の矜持 寄らば斬る!篇』(本の雑誌社2003.6)

こういうセンシティブな感覚というものは日々忘れていくもので、それが成長ということなんだろうけど、どこか寂しくもある。ただ、佐藤友哉が『フリッカー式』から現在までかけて「自分と同類の若い世代や子供たちへの共感であり励まし」を書き続けているという点には、学ぶベきものがあるように思う。「じゃあ、結局この仕事を通して何をやりたかったの?」という問いを、常に突き付けていたいのである。経済的、身体的、精神的、このいずれもが健康であるということを前提に置いて。というか、そうでないとその言葉に説得力は持ちえない。鬱状態があれば躁状態もあるのだ。

……ああ、近況、最近は、文芸同人を組んで同人誌を刊行したり、小説の合評会を行ったりしている。とても楽しいし、充実している。

 

おわりに

この記事では、特に伝えたいことがある訳ではなく、ただなんとなく、近況について書いてみたかったのだ。

特に何があった訳ではないが、ふとこのブログ、文芸ポップスを覗いてみるとなんとまぁ、ほとんど更新がないにも関わらず、閲覧してくれている人が一定数いたのである。有難い話ですね。

だからという訳ではないが再開することにした。他にも、手を出していた商売を引き払ったというのもありますが……ぼちぼちと文芸関連の記事を書いて余暇を楽しく過ごしていきたいと思います。

 

それではまた。