【書評】保坂和志『考える練習』
はじめに
最近、保坂和志の著書を勧められることが多い。というか、保坂ファンの友人を得た。彼から最初に勧められた本が『書きあぐねている人のための小説入門』という本だった。内容に関しては、割愛するが、以降私は「お話」を書くのではなく「一文」を繋げることに邁進しているように思う。いい方向の変化だと思う。
さておき、『考える練習』である。本書は大和書房より刊行されたものであるが、同社の三浦さんが、作家の保坂和志に質問を投げかけて、保坂和志がそれに解答していく、というインタビューの形式をとる。その解答がまた、いちいちカッコ良く、また納得させられるものばかりだ。私は『この人の閾』よりも『プレーンソング』よりも先にこの本を読んだ。ファンでなくても、充分に楽しめる書となっている。
気になった箇所をピックアップしながら紹介していきたい。
※引用はすべて保坂和志『考える練習』(大和書房2013.4)による。
iphoneなんていらない
まったくである。私は会社の都合でアイフォンに変えさせられた。ガラケーで十分。もの足りる。氏は、このように語る。
(電話がすぐに繋がるような、電話一本でなんでも出来る=筆者注) 便利な世界にするのがやつらのワナなんだよ。やっぱり電話を引くために半日、一日並ばなきゃいけない、この不便さがきっと何かだったんだよ。
利便性を追求した先に何があるかというと、やはり疲弊なのである。スマホのおかげでどこでも商品を買えるが、その便利さが宅配業者を疲弊させ、24h時間営業するコンビニのおかげで深夜に食品を得ることが出来るようになったが、深夜に働く人間もいるのだ。そもそも、深夜にコンビニに足を運ぶ人間も、深夜に働かなければいけない状況にある訳で、その状況も便利さを求めた結果のように思う。それはコンビニとか宅配業者に限った話ではなく、例えば、休日に仕事が入るかもしれないとゆっくり休むことさえ出来ないサラリーマンなんかもいる。
続けて、氏は言う。
iphone持って、あれが見れるこれが見れる、レストランがすぐ見つけられる、ウィキペディアでこれが調べられるとか言ってるけど、それだけのことでしょう。その時間がラクだから、ドストエフスキーを読む時間が減るんだよ。
便利になったことで、私たちは時間を得たのか、それとも失ったのか、疑問である。結果や解答ばかりを求め、それで満足してしまう。一つの物事に対して思考する時間は減り、短絡的な結論ばかりを求める時間が増えてしまったのかもしれない。
とあるブロガーのブログに「研究書は読まなくていい」と書かれ、何故なら「結果に反映されにくい」とあったが、溜息を吐かずにいられないのは私だけではないだろう。
おわりに
上にあげた文章は当然、本書のメインではないし、そもそも『考える練習』にメインなんてあるのか。
氏は文学に対して、次のように語る。
少なくとも、文学に日々接していれば、ひとつの軸だけではものを語れないっていうことはわかる。世界を見る目がひとつだけでは世界は見えないっていうことはわかる。(中略)単一の世界像みたいなものは幻想だってことを知るのが文学に接するということだよ。
(中略)
そういう、曲者であるところの文学から人を遠ざけるっていうのは、やっぱり人を考えなくさせていくことなんだと思う。
思考するより先に行動することの価値が重んじられる現在ではあるけど、何もないところからは新しい価値は生まれないんじゃないかな。お金は生まれるけどね。
ではでは。