文芸ポップス

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【雑記】酒と文学

酒と文学 

 

 酒と文学と聞いてパッと思いつくのは太宰治葛西善蔵。太宰や葛西が書く酒の描写は苦渋をなめるように酒を煽るものが多い。太宰の作品では酒を飲んで後悔する、それで前向きになったようでいて同じことを繰り返す、といった酒に溺れた人間を描いた作品が散見する。酷く悲観的に書かれたものが多い。一方の葛西はと言うと、病人ばかり書いている印象を受ける。自分も周囲も不幸に覆われている。

 

 では底抜けに明るい酒飲み小説は無いだろうか。ケルアックの『地下街の人々』や『オンザロード』なんて明るいのではないかと思うけど、内容的には『限りなく透明に近いブルー』と一緒だと思うと、そうでもない。どちらも、倦怠とか虚無みたいなだらりとした空気の中に生きる若者を書いた作品だけど、明るいとはまあ、そういうことではないだろう。

 

 上にあげた作品を問わず、小説における酒は堕落のモチーフとして使われていることが多いように思う。小説ってそもそも「大成功した人物」「精神的に最高にハッピー!」な人が出ないことの方が圧倒的だし、どうにもならない自分、精神的に不安定な自分を癒す薬が酒だとしたら自然とそうなるのだろうか。酒を飲むと確かに不安から解放された気分にもなるけど、逆に考え込んでしまうこともある気がするんだよね。酒を飲む、という行為に満足を覚えるんですかね。

 

 梅崎春生は戦後派の作家で第三の新人の兄貴分(遠藤とか安岡)でもあった作家だけど、彼自身も作中の人物もまあ、酒好きが多い。晩年、「酒こそ俺の文学だ!」と豪語していた作家だから、まあ、それも当然のこと。彼の死因は肝硬変。当然の成り行きですよ。

桜島」という作品の中で面白いエピソードがあるんだけど、鹿児島の谷山というところで兵役をくらっていた彼とその仲間は酒欲しさに燃料用アルコールをお湯で割って飲んでいたと、そういうエピソードがあるんだけど、まあそれだけ、彼等の不安を和らげるのに酒が必要だったと。燃料用のアルコールを飲んだら失明してしまうかもしれない、って知っていて飲んでるんだからすごいよね。酒を飲むことが不安から逃れることだとすると、失明することもまた不安から逃れることであると、そういうことが言いたいような(こじつけですか)気もしますけどね。

 

 梅崎に限らず、戦後派の作家の作品を読んでいくと、酒のみの主人公が敗戦と喪失という体験を超えて生きようとする作品が多いように見受けられますね。(梅崎春生「幻化」武田泰淳蝮のすえ」椎名麟「深夜の酒宴」などなど)明るい、と聞いてパッとは思い浮かばなかったけれど、前向きに生きるための作品は結構あるようですね。

 

 【雑記】なので何を書いてもいいという思いからこのような文章を綴っているのですが、今日は久しぶりにお酒を飲んでいるのです。さてはて、僕の酒は『限りなく透明に近いブルー』か『幻化』か。はたまた類を見ないHAPPYなものか。

 

 村上春樹の作品にもよく酒は出てきますね。あれぐらいポップに酒を書いている作品を、明るい酒の作品と呼ぶのかもしれませんね。蒸発したり失業したりパン屋を襲撃したりしてますけど。

※谷山で燃料用アルコールを飲むエピソードは「桜島」ではなく「悪酒の時代」というエッセイでした。失礼しました。

 

〈完〉