【音楽】CRYAMY-音楽と生活と明日飲む酒
CRYAMY-音楽と生活と明日飲む酒
いつか誰かの手を繋ぐみたいに祈ってるだけ
いつか誰かの手を離してしまったときのような
悲しい思いをさせたくないだけ
CRYAMY『#3』「プラネタリウム」より(作詞作曲:カワノ)
活躍する世代はみんな年下ーCRYAMYってすごくよいよね
94年に生まれた私であるが、最近活躍するミュージシャンの略歴をみると、私なんぞより年下であることが多い。今回紹介するCRYAMYのメンバーもおそらく94年以降の生まれだろうと推測されるが、この世代(=ほぼ同世代)の作る音楽には共感できるところが多い。そしてこう、なんか切ない歌詞とか、多い。『crybaby』より「物臭」を引用。
時々は顔を出してね
忘れてしまう気がしているから
テレビなら金ないから売ったよ
あなたが買ってくれたのにね
CRYAMY「物臭」『crybaby』より(作詞・作曲 カワノ)
「テレビなら金ないから売ったよ あなたが買ってくれたのに」って歌詞が侘しすぎる。
カワノの歌詞は人間の侘しさで満ちている。聞けば聞くほどに自信を喪失する。泣きたくなることも多いが、しかしそれだけではない。
「人間の弱さ」などと言うと、ありきたりで申し訳ない限りだが、CRYMAYの音楽からは弱い人間に対する温かな眼差し、言うなれば愛を感じる。音楽を聴けば救われる、と言ったことが多々あるが、彼らは私のような落伍者に対しても眼差し温かく、これは紛れもなく救いである。
最近のインディーズシーンも色々だが、ある時期から、メロディがポップス寄りのものになり、歌詞も生活からは離れている。一方、cryamyはノイズ・ポップのような、90年代後半~0年代の雰囲気を感じさせるサウンドに生活のもの悲しさを歌っている。
……音楽のことについてはよく分からないので書くのはよそう。
私は生活に困っても誰にも金は借りないだろう。人に恩を売るのは癪だという、幼稚な考えが頭をよぎるからだ。リボ払いを重ね、上限に達すればレイクで金を借りる。恋人にも借りないかもしれない。かつてリリー・フランキーは極貧時代を過ごしたというが、元カノが生活を憐れんで数千円を恵んでくれたそうだが、そこに羞恥の念はなかったという。私はプライドが邪魔をしてそんなことは出来ないだろう。
精々、貰ったDAKOTAの財布を売却するくらいなものだ。売っぱらった財布で得た少ない金銭すらも酒に溶かしてしまうのが精々だ。
生まれてきて良かったなんて 思ったことはないんじゃないかな まぁついでに言えば生きてきて良かったなんてことも ないんじゃないかな
いやぁ、なんか色々悲しいことが多いですけど、頑張っていきましょう。CRYAMY聴いてると、明日の不幸が気にならなくなりますよ。自分と同じくらい悲観している人がいると思うと、安心しませんか?
そうでもない? そっかぁ、それじゃあまぁ、おやすま、またおはよう。明日を超えるため、何を飲もうかね〜
【書評】山本直樹『BLUE』ー振り返ればそこにいるぼくら
山本直樹『BLUE』ー振り返ればそこにいるぼくら
俺はとなり町の郵便局員になった
飲み仲間もいるし
かわいいカノジョもできた
田舎暮らしもそんなに悪いもんじゃないよ
私が引用した版
一番新しい版
はじめに
最近、よく山本直樹の本を買って読んでいる。正直、これまでまともに読んできたことのなかった作家なのだけど、見事にハマってしまった。26歳になって山本直樹にはまるのか~と思っていたが、ハマるのはちょうどこれくらいの年なのかもしれない。という訳で、出世作『BLUE』について書いてゆきたいと思う。
本題に入る前に、あとがきから引用。
この本は最初に出たとき東京都に有害図書指定を受け、絶版回収廃棄という処分になりました。
でもおもしろければそんなものは屁でもないんです。
書評
※引用は特に記載のない限り山本直樹『BLUE』「BLUE」より(太田出版2006.8)
最近、やたらと山本直樹を読んでいる。作品の何に惹かれているのか分からないが、たくさん読んでいる。本屋で見つけては手に取り、「エッチなシーン多いなぁ、でも全然エッチな感じしないなぁ」等とちょっと垢ぬけた小学生のような感想を抱きながら自宅でだらだらと読みふけっている。
で、そんな山本直樹の出世作(?)『BLUE』なんだけど、これがまたなんとも切ない。主人公の灰野とヒロインの丸谷が薬物使ってセックスをしているという話でその薬物の名前が「BLUE」。この「BLUE」という薬物は「青春」のメタファーとも読めて、灰野と丸谷は溶ける錠剤の如く刹那的にセックスを繰り返す。びっくりするくらい、エッチエッチの連続なのだ。
しかし、この「BLUE」はただエッチを繰り返すだけの「エロ本」ではない。思春期、高校時代の気怠さや反骨、欲求、暴力の断片が細部に至るまで細かに描かれている。情景や会話の間を上手く使って抒情を引きずり出している辺り、映画的と言ってもいいだろう。
あと、舞台が東京じゃないのもね、地方郊外出身の私にはグッとくる。成績優秀、スポーツ万能、コミュ力抜群のヒロインの丸谷は語る。
一生この町にうもれて暮らすなんてまっぴらだね
わたしこの町大嫌いヌルマ湯ん中いるみたい
どいつもこいつも善人ヅラしてさ
灰野と丸谷はひたすら性行為を繰り返しているが、丸谷の相手は灰野だけではなく薬物の「BLUE」を持ってくる二人の先輩(地元の薬学部に通っている)とも関係を持っている。丸谷いわく、灰野も先輩たちも同じ「好き」なのであり、そこに差はない。けれど灰野は丸谷に「愛してる」なんて言ったりしては、丸谷に見当違いのことを言われて相手にされない。切ない。丸谷は飄々と、と言うか、どこか男たちを見下しているようでもある。けれど、そんな丸谷も一度だけ、真顔になる瞬間があり、それが以下のような場面だ。
「この不浄なイカナを抜け出し 誰も知らない東京めざしてこの道をどこまでも
南へ走ろう
ガソリンが切れたら二人で自販機こわして金を盗みガソリンを買おう。
このまま東京まで逃げてそこで二人貧しくともつつましく暮らそう」
「………冗談でしょ」
「冗談だよ…」
これは灰谷と丸谷がドライブ(先輩たちの車を勝手に借りて)をしている時の会話だ。この「冗談でしょ」のセリフを言う時、丸谷は作中で唯一「真顔」になる。この「冗談でしょ」は当然灰野の発言が本気であることを十分に含意した上での「冗談でしょ」(=本気だなんて言わないで)なのだが、ここで灰野が「冗談だよ」と返さず、本気だと言っていれば物語はどう進んだろうか。二人の戯れ(=「BLUE」を使った性交)は終わりを告げ、丸谷が灰野と逢瀬を重ねることはなかっただろう。
灰野が「冗談だよ」と言い、学生としての青春期を捨てて「二人貧しくともつつましく暮らそう」という「ただ二人の生活」に対する欲望を捨てたからこそ、丸谷は普段通り社内でキスをしてフェラチオをして灰野はその欲望を捨て(=射精)日常(=青春)へと還っていったのだ。
それから冒頭に引用したように灰野は地元(隣町の郵便局員として)に残り、丸谷は東京の大学へと進学した。灰野は「BLUE」の後遺症で時折過去の映像(丸谷や先輩たち)がフラッシュバックするようになってしまった。あらあら。まあでも、ぼくらもたまにフラッシュバックしたりしますよね。青春時代のぼくらを。
青春というものを、男子女子の両側面から書いた傑作なのではないかなと思ったのでした。
おわりに
なんかくさいなぁ。本当は丸谷が真顔になった瞬間だけは、灰野のことを対等に見ていたと思いたいけど、それは儚い望みでしょう。
まぁ、山本直樹の『BLUE』には他にも面白い短編がたくさん収録されているので、皆さん是非読んでみてください。他の作品だと『ありがとう』を推しますが、それはまた別の機会に。あー眠い。仕事したくない。高校の頃には………帰りたくない。
ではでは
山本直樹『BLUE』
山本直樹『ありがとう』(上/下)
【雑記】最近は山本直樹にはまっているし気が付いたら26歳だったーブログの運用を再開しました~読んでくれていた皆さんありがとう~
最近は山本直樹にはまっているし気が付いたら26歳だったーブログの運用を再開しました~読んでくれていた皆さんありがとう~
「電車に乗れないくらいで落ち込むことないですよ。しょうがないですよ。5年ぶりでしたっけ? 僕も電車は苦手だなあ。他人がいっぱいいて、なんかガーってやたらうるさくて。
とりあえず外に出れただけですごい進歩ですよ、ねぇ、いい天気だし。
電車に乗らなくてすむ仕事だって、いっぱいあるんだし。」
「あんたの仕事 ちょっと興味あるわ。私 経験者だから 訳に立つかも」
「あ 実は僕も経験者なんですよ」
「………………また そんなでまかせ言って私のシンパシー得ようとして。」
「あ わかりました? 事務所から独立して初仕事だったのになー…………」
「面白いことなにもないの?」
「ジャンケンでもしますか?」
「勝ったほうがここから飛び降りるってのはどう?」
山本直樹『明日また電話するよ』「テレビばかり見てると馬鹿になる」
(株式会社イーストプレス 2008.7)
はじめに
このブログを更新するのは何時ぶりだろうか。最後の更新が2018年の11月なので、もう1年以上も触れていないことになる。当時は24歳、そして今は26歳である。新しいことを始めるのには遅いのではないかと思ってしまう今日この頃。この1年半、色々あったが、また改めてブログの運用を始めることにした。少し間が空いたので、軽く近況について報告していきたい。
最近のこと
と言っても、このブログで長く読まれているのは『モデラート・カンタービレ』の書評記事であり、私の雑記記事に対する閲覧数は塵ほどのものである。なので、この記事というのは自分の踏ん切りとでも言えるものであって、誰の為の記事でもない。がまぁ、一応書かせてもらうとこのブログを立ち上げた当初はwebでライター業を営んでおり、クラウドワークスやランサーズを主な職安所として活用し、美容健康医療に関する記事を書く仕事をしていた。その他にも、漫画の考察やネタバレ記事などを書いていたが、こちらはあまりお金にならなかった(恰好が良いので、友人たちにはサブカル系の記事を書いて銭を稼いでいると話していた過去が辛い)。他にも、ハッテン場の取材などをしたが、あまり思い出したくない。仕事用のブログをXサーバーで作っていたが全部捨てた。
で、今はと言うと、IT系の企業で営業の仕事をしており、それ以下でも以上でもない。年収は以前より増えたが、平均の域を出ない。最近はよくサボっており、いつやめるのか定かではない。そうなったらどうしようもない。「どこへも行き場がない」(罪と罰)日がまた訪れるかもしれず、今度こそアパートの踊り場で息絶えるかもしれない。
それもちょっと御免被りたいので、しばらくは会社員として働くでしょう。
これからのこと
僕はこのまま『ノー』と云うこともなく、今までの言動が『青春』という単語に変化するのを、この町で静かに待つのだろう。「かわいそうに、こんなに屈服して」ミチオが自分の父親と同じような言葉を僕にぶつけた。だけど今の僕には、そうした屈辱すら通じない。何も感じない。ミナミ君もいない。祖父もいない。虚無もやってこない。何もない。これからの僕は、その何もないという部分に幸福を感じながら生きるのだ。
佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』(講談社2007.5)
単行本
文庫本
別に大きな挫折や苦難を味わったわけでもないのに、佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』のことを思い出した。人生に対しての一区切り、ひと段落を得た時には、決まって思い出すのだ。特別に好きな本ではないが、高校の頃に読んで以来、鹿児島で生きていくことを考える上では欠かせない本となっている。鹿児島で何が成せて何が成せないのか? 鹿児島で暮らす多くの人にとってはくだらない、どうでもいいことだろう。「お前は何を言っているのだ?」と後ろ指を差されるに違いない。それでもこの町では、挑戦出来ることと出来ないことがある。鹿児島で挑戦出来ないことを挑戦したい人はどんどんと外に出ていく。
私の後輩も、最近映像会社に就職が決まり、東京へと旅立つらしい(おめでとうTくん)。一方の私は、別に都市に出てやりたいことなどない。正確に言うと、私のやりたいこと(文筆業)は別に地方でも出来るので、「出来る」ということを言い訳のように利用して外へ出ないだけなのだ。出る理由がない。
心の奥底では出版社で働きて~ライターして~メディア作りて~などと考えたりもするのだが、じゃあ、それは東京に出てまですることなのか、という問いを自分自身に突き付けてしまう。色々と矛盾した感情を抱かざるを得ないと思う自分がダサいと思うし、何よりダサいと思う自分がダサくて虚しいという甘えを抱いている。
端的に言うと、現状に甘えぬるま湯に浸っている。全く興味のない業界で働きそこそこの給与をもらい、休日に本を読み小説を書いている。何が悪いのか? 人は言うだろう。そう、何も悪くない。だから別に誰にこんな愚痴を言う訳でもなく、せかせかと誰が読むとも知らないブログ記事に書き連ねている訳だが。
「努力せよ」と人は言う。どの方向に努力するのが正しいのか、未だに分からない。南日本新聞への就職を目指すことが正なのかも(だった)しれないし、公務員を目指すのが正なのかも(だった)しれない。目指すべき地点が分からない、そんな人も多いのではないだろうか。けれど「私たち」は傷のなめ合いを最も忌み嫌う。
だから私たちは、人知れず目の前の課題を淡々とこなしていくしかないのだ。私はと言えば、「何もないという部分に幸福を感じながら生きる」ようになるまで、自分なりに取捨選択を繰り返しながら、目の前の課題を淡々とこなしていくだけなのである。
昔、ある人に言われた「人間っていうのはどんだけぶれぶれでも軸を一個持ってると人生うまくいくよ」という言葉を大切に、会社員を続けながら小説やら文学やらを続けていきたい。
……とは言いつつ、異常なくらい金が欲しい時期があった。これからも時折そういう時期が来るのだろう。そろそろベンツに乗ろうと奮起したつもりになっていたが、別になにもしていない。最近は私の愛車であるハスラーが大破したので、生涯ハスラー乗りでもいいかなと思っている。これを機に新しい車を買おうと思ったがそんな金はない。しばらく続けていた商売を今月で辞めることにしたので、収入も若干減るし、もう魂をすり減らすことに時間を使うのはやめようと思うのだ(そもそもペイしていたかの問題もあるが)。まだしも、サービス残業の方が健康的である。私は有体に行ってバカなので、何事も経験してみないと分からない。物書きを生業としようとしている者にとっては著しい欠損であるが、致し方あるまい。まぁ、新しいことにチャレンジしたことを自分なりに評価した結果損をしたとしても、ウシジマくん風に言えばこうだ。
マサルから聞いたぜ。お前は自分の全人生を賭けて勝負したんだろ?
すげーじゃねぇか。なんもしてねぇー奴よりよっぽどマシだ。
まあ私が件の「フリーエージェントくん」のように人生を賭けていたかと言われるとまた別だが、それなりの判断を迫られたりもしたので、まぁ、とりあえず自分への慰めとしてこの言葉を貰っておきたい。失敗の要因はというと、「フリーエージェントくん」 同じく中身がなかったという一点に尽きるだろう。だからまぁ、人生一発逆転という方向に私は向いていなかったのだと思って「フリーエージェントくん」同様に長い時間をかけて左部メソッドを会得していくしかない。挑戦のきっかけは、教養の不足から来る諦めのようなものだと思う。
それはそうと、書評家の豊﨑由美が佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』の書評の中で、内輪言語を多用する著者を次のように語っている。
閉じないでは生きていけない。不条理なまでに暴力的な世界に耐えられない柔らかな心を抱えて苦しんでいる、自分と同類の若い世代や子供たちへの共感であり励まし、そのサインが内輪言語だったのかもしれない、と。それが読みとれなかったのは、わたしが世間智にたけた大人だったからなんでありましょう。
豊﨑由美『ガタスタ屋の矜持 寄らば斬る!篇』(本の雑誌社2003.6)
こういうセンシティブな感覚というものは日々忘れていくもので、それが成長ということなんだろうけど、どこか寂しくもある。ただ、佐藤友哉が『フリッカー式』から現在までかけて「自分と同類の若い世代や子供たちへの共感であり励まし」を書き続けているという点には、学ぶベきものがあるように思う。「じゃあ、結局この仕事を通して何をやりたかったの?」という問いを、常に突き付けていたいのである。経済的、身体的、精神的、このいずれもが健康であるということを前提に置いて。というか、そうでないとその言葉に説得力は持ちえない。鬱状態があれば躁状態もあるのだ。
……ああ、近況、最近は、文芸同人を組んで同人誌を刊行したり、小説の合評会を行ったりしている。とても楽しいし、充実している。
おわりに
この記事では、特に伝えたいことがある訳ではなく、ただなんとなく、近況について書いてみたかったのだ。
特に何があった訳ではないが、ふとこのブログ、文芸ポップスを覗いてみるとなんとまぁ、ほとんど更新がないにも関わらず、閲覧してくれている人が一定数いたのである。有難い話ですね。
だからという訳ではないが再開することにした。他にも、手を出していた商売を引き払ったというのもありますが……ぼちぼちと文芸関連の記事を書いて余暇を楽しく過ごしていきたいと思います。
それではまた。
【創作】B-review投稿「三日目の鳥肌」
創作
B-reviewという詩の投稿サイトに拙作「三日目の鳥肌」を投稿しました。
三日目の鳥肌
この詩をどんな思いで書いたのかは端折りますが「三日目の鳥肌」というタイトルはとても気に入っています。「唇を噛んで」からの3行がちょっと反省です。
私がB-reviewに投稿して4作目になりますが、本作が最も反響が薄いように思いますね。だめだめだと思われたのかもしれないし、絡みづらい詩だと思われてるのかもしれないですが、まあ反響がないのは寂しいモンです。精進精進。
この詩は多分、去年の今頃に書かれたものだと思いますが、自分にとっては、結構愛着のある詩、なのかもしれません。
おわりに
昔、文学極道というサイトに投稿をしていた。最近、その発起人の一人の身内と、私が知り合いだということを知った。世間って狭いなと思った。
では。
【雑記】部屋とアルコールと私、または食品添加物暴食
2018年11月15日(木)
気が付いたら木曜日だった。日記の更新も一週間ぶりか。
最近は慢性的な眠気と頭痛に支配されているが、まあこれはアルコールの所為かもしれない。まあ、後は最近添加物をよく口にする。ph調製剤には、脳の働きを鈍らせる働きがないとかなんとかと、仕事で「危険!食品添加物」の記事を書いている最中に知った。まあしかし、筆者たる私の食事上はもっぱら添加物と加工品で成り立っていると言えるのだから、なんたるダブルスタンダード。大澤信亮が読んだらひどく共感してくれるのではないか。まあ、それはそうと今日はまあまあな一日だったので記したい。
起床(AM 9:00)
頭が重かった。これでもか、という程に頭が重かった。昨日の私は14時間近く働いていた上に、酒(BEER 700ml)を飲んだのだ、仕方がない。
同業者からプレモル(の引換券)をプレゼントしてもらった。あれは、美味かった。
起きて何をしていたかというと、何もしていない。「文芸誌を読もう」と思いながら、何もしなかった。
昼食(AM12:00)
摂っていない。荒田に出かけた。
相談事をしに訪れたそこでは、2人の職員が食事を摂っていて、昼飯時に現れた私をあからさまに嫌悪して箸を休めて一言「いらっしゃいませ」
そうして通されたブースに座っていると冷たいお茶を頼んだはずが温かいお茶が運ばれてきた、これが昼飯時に来た人間へ対する仕打ちかと思うと納得がいく。
まあ色々話している内に、そのセンタ―の本棚に「ニッポニアニッポン」が設置されていることに気づき、手に取って相談に乗ってくれた人に話してみると「読んでみるよ」とのこと。次に会うのが楽しみ。
図書館(PM2:00)
文芸誌を読みに図書館に行った。購入せずにすみません。文学界と新潮は買いました。
(東浩紀と大前粟生がよかった。おすすめ)『すばる』に掲載されているモブの渡部論考と『新潮』の高橋「アジサイ」を読んだ。よく分からなかった。
部屋の掃除(PM4:00)
まったく進んでいなかった。怠い。仕事に出かけた。
仕事(~PM9:00)
大体5時から9時まで仕事だった。俺は昔コンビニでバイトしてたんだけど、時間で区切ったらそれくらい。正直、今と同じ給与もらえたらコンビニで働きたい。コンビニは楽しいし、添加物ばっかり口にしているのだから、廃棄の弁当食っても同じだろう。ああ。
片づけ(現在)
部屋の片づけをはじめたいと思う。今日は誰もビール(の引換券)をくれなかったので、淡麗を飲んでる。部屋が汚くなると、全体的によくない。生活のリズムが崩れる。
今日は米を炊いて味噌汁を作って寝る。明日は魚を焼いて朝飯。
【音楽】CHAI『GREAT JOB』
はじめに
私がCHAIを知ったのは、確か2017年の暮れだったと思う。CHAIの曲より先にジロッケンという番組のALSKNの回を観て、知った。CHAIのメンバーである双子のマナ・カナの両氏が司会を担当していたのだ。
最初はタレントの方かなと思っていたのだが、どうやらバンドとして活動しているということが分かった。調べて聴いてみた。「N.E.O.」という曲だった。ネオ可愛いの、あの曲だ。新しい価値観の新しい曲を聴いているという感想を抱いたのを覚えている。
CHAI『N.E.O.』Official Music Video
デビュー当初から話題のバンドであったが、人気は上昇を続けている。音楽の情報を積極的に仕入れている訳でもない私でさえもよく耳にするのである。大人気と言っていいだろう。そしてそのCHAIが新曲を発表していた。
その名も『GREAT JOB』である。
CHAI『GREAT JOB』
CHAI『GREAT JOB』Official Music Video
「GREAT JOB」は、“家事シェア”を応援するパナソニックとCHAIのコラボで『家事がはかどる音楽』として誕生した楽曲。 面倒だったり、時にしんどく思われがちなネガティブな家事を、楽しくポジティブなものにするため、CHAIが日々当たり前のようにやっているすべての家事に、“GREAT JOB=よくやった!”というエールを込めて制作。
(引用:CHAI『GREAT JOB』Official Music Video - YouTube
※以下の引用はすべてこちらから)
どうやら、家事をポジティブにするために生まれた曲であるらしい。リズミカルで口ずさむのに最適だ。私も先ほど、片づけが面倒クサイという記事を更新したばかりなので、丁度良いタイミングで発見したと言えるだろう。
大陸感のあるシンセからはじまる本曲。歌詞も一語踏みとどまらずに気軽に聴ける。その上、パッと頭に入ってくる内容となっている。なるほど、これなら作業しながら聴けるというものだ。しかし、いざ片づけに取り掛かろうと思うと、頭が重く、パソコンの画面から離れることが出来ない。
一部歌詞を引用
Let’s start!
負けてらんないDUST
I’m winner 盛りつけてFAST
早起きはMUST You’re winner
キャッチ―過ぎる。呪文のように頭をよぎる。10代の子どもから50代くらいまでの方には対応しているであろう普遍さ。
この歌詞を好ましく思わない人も、メロディがいいから聴ける。
ラストは、
Get power! Fresh feeling!
これは Get power! Fresh feeling!
まるで Get power! Fresh feeling!
このように、「Get Power! Fresh feeling!」と歌詞を反復して収束する。
CHAIの歌詞では、一つの言葉を何度も反復して繰り返す手法がとられている。
これが今なお、私の脳内で楽曲が流れている原因なのかもしれない。
聴きやすく飽きさせない、それは人気になるはずだ。
おわりに
私はCHAIが好きだ。
「N.E.O」を聴いて『PINK』を買った、。素晴らしいアルバムだった。何より、曲のヴァリエーションが豊富で全く飽きさせない。日本のロックバンド感がまるでなかった。
「ネオ可愛い」に対して、「おいおいそれじゃあ、バカはネオ頭いいになるだろ」みたいな意見の人もいるらしいが、「可愛くないと思われているナニカ」を「それってセンニュウカンじゃないの?」と言ってるのがCHAIであって、まあ、言ってしまえば、従来コンプレックスだったものをポジティブに捉えて受け入れようという概念の総称が「ネオ可愛い」(コンプレックはアートなり)なのである。
例えば、「N.E.O」のPVではしゃくれやそばかすが取り上げられているが、それと「頭悪い」(偏差値にしろ記憶力にしろ判断力にしろ)を同列には並べられないだろう。
……あれ、なんか言ってる内に、よく分からなくなってしまった。CHAIの擁護をしようと思ったのだが。ファンとしての贔屓だろうが。でも私は、「ネオ頭イイ」でもなんでもいいと思ってる。問題は、ネガティブな思考をポジティブに変換することなのである。それによって、生きやすくなることは間違いない。
至極、真っ当で基本的なことのはずなのに誰も声を上げていなかった。私は子どもの頃太っていて、それがすごく嫌だった。広告やテレビの作り出す「美」のイメージに苦しんでいる人は多いはずだ。だからこそ、CHAIの人気が出てよかったと思う。
どうでも良いが、大正期の「美」のイメージは今で言うぽっちゃり系である。そんなもの、いくらでも変わるのだ。絶対的な価値観はない、ということを知らない人は多い。
ところで、11月にCHAIが鹿児島に来るらしい。嬉しい、が、私は行くことが出来ない。ソルドアウトしているらしいので、CHAIのライブを観に行く人は楽しんでください。鹿児島が気に入ってもらえるといいなあ。あと、灰が降らないといい。
ライブ会場の近くに美味しいしゃぶしゃぶのお店があります。遠方から来られた方は是非に。
それでは。
おすすめ
CHAI『PINK』
【雑記】部屋の片づけをしていたら一日が終わる、谷崎潤一郎の『卍』がイイー2018年11月7日水曜日
2018年11月7日水曜日
昨日は久々に実家に帰り、起きたら身体が怠かった。今も怠い。怠い怠いと思いながら帰宅。部屋の片づけを始めたのであるが、いまや午後も3時を過ぎたところである。
これからようやく仕事がはじまろうとしているが、帰ってきたら寝て起きて仕事である。
およそ忘備録代わりの日記であるが、更新しないよりはマシである(と思いたい)。
起床AM9:30
ライターの朝は遅い、以前批評家の宇野常寛氏が出版関係の人たちもそうだと言っていた(下の動画、最近の宇野氏。私も久々。誤配の話もしてます)から、紙やら文筆の方々もみんなそうなのかもしれない。最も私は、全身全霊のライターではないからして、並列に語るのも心苦しいのであるが。
落合陽一がドン・キホーテをべた褒め?ゲスト:宇野常寛(評論家と語る未来 1/4)
昼食・片づけPM1:00-15:00
何が汚いって、台所の排水溝がすごく汚れていた。これでもか、というくらい汚れていた。最近、片づけをしようと思うと、どうも頭が重くなり、そのまま横になることが多いのであるが、今日もまたその例に漏れず、しばし横になって小説を読んでいた。谷崎の『卍』である。今やっと、光子が園子の家を訪れたところ。これからどうなるのやら、ワクワク。構造が面白い小説ですね。
それはそれとして、どうも片づけが進まない。排水溝は諦めて、洗濯物を取り込んでみると、少しは頭痛も収まり、ようやく洗濯物を片付けることが出来た。また寝転がって『卍』を読みたいが排水溝は汚いまま。床が片付いただけでも良しとしたい。ゴミの分別も、終えた。私の一日も終わる。
このブログを更新する時間PM3:00ー現在
日記をつけているのは、こういった雑記を書いていて人が集まるのかどうかを知りたい、ということが一つある。仕事としては、特化ブログにしか関わったことがないのだ。漫画や文学、音楽の記事も、まとまったら更新したいところです。
片づけをストレスなく済ませたい。
1000字にも満たしていませんが。
それでは。