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【書評】フローベール『ボヴァリー夫人』走り書き

ボヴァリー夫人、読み終えました

 

 何年か前授業でボヴァリー夫人を読んだのですが、最近デビューした小説家の山岡ミヤ氏が「執筆中は『ボヴァリー夫人』を自身の励ましとして読んでいた」と語っていたのを受け、私も自身への励ましとして再読してみました。およそ1カ月かけて読んだり読んでいなかったりしたのですが、3日前にようやく読み終えました。長い物語ではありましたが、さすがは古典の名著。飽きずに読むことが出来ました。励ましになったのかと言われると、どうでしょう。面白く読んだので、なったのかもしれませんね。

以下、所感。走り書き。

 

シャルル

 エマの破滅の要因の一つにシャルルの凡庸さがあげられます。彼の取柄は優しさと善良さですが、エマにとってそれらはただの愚鈍さに過ぎなかったようです。シャルルはエマの求めには何だって応じます。妻が好きで好きでたまらないのです。しかし、ロドルフに突き放され、レオンが去っていた後のエマの様子を見ていると、彼女は追われるより追うタイプの女性であると言えます。だから、エマに「好き好き」言って、手術を失敗した後に「キスして!」なんて泣きついているようじゃダメなんですよ、シャルルさん。

 

エマ

 エマとは誰か? 彼女は人間の欲望の象徴です。世の風紀を乱すと言われて起訴された本作ですが、その事件自体が、誰もがエマと同じ欲望を抱えているということの証左に他なりません。優しい夫に甘やかされ、世間との接点の少ない彼女の欲望は抑圧されることを知りません。甘やかされてぐれた子供が登場するドラマは数多いですが、その一つの典型だと言って良いでしょう。エマが死ななければいけなかったのもその我儘、欲望に身を投げたことが原因です。欲望は抑圧されるものではなく、批評するものです。「抑圧された」と聞くと「解放せねば」と思ってしまいがちですが、欲望とは批評し、自己を客体的に見る為に必要な感情です。自己の客体化に成功した時、己を知り、知ることで、人生における選択を知ることが出来るのです。自分を知り、批評を続ける、その果てに、エマが求めてやまなかった幸福があったのです。

 

と、言ってる人がいましたが。

 私はこの『ボヴァリー夫人』をシャルルと対照的で小利口なオメ―氏の立身物語だと読みます。シャルルに地位がある時にはすり寄り、エマが死んでシャルルが立ち行かなくなると一気に離れ、俗物的な欲求に忠実でありながら、彼は身を崩すことをしません。エマの欲望は身を持ち崩すものばかりでしたが、オメー氏の欲望は立身することにのみ執着しています。物語のラスト、オメー氏が勲章をもらったところで終わるのも、中々印象的です。そこに物語の核心が潜んでいると思えてなりません。

 

一読したばかりの感想でしたが、様々な視点から分析できそうなテクストですね。『ボヴァリー夫人』また読みます。

〈完〉